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【モノマネっぽいけどホンモノ行間描写】横綱貴乃花引退会見

RED Chairより。


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復活を期す場所前のコメントを先に付しておきます。

 

あのー、自分がこぅいいとか、悪いとか言葉で言うよりも あのー、行動で示した方が、いいと思いますし、 また本場所の土俵で、えー見せた方がいいと思いますから、 今は私なりにあまり、その、言葉では、あまり話はしたくないです、はい。 (2002.8.26 秋場所番付発表)



藤井康生「NHK藤井です。どうぞ宜しくお願いいたします。まず、親方あのー、ご挨拶いただけますでしょうか?」
二子山親方:はい。あのー、座ったままで失礼します。 今日は本当にあのー、こんなに大勢の方々が貴乃花の引退記者会見にご立席賜りまして、本当にありがとうございます。 本日、貴乃花が、横綱貴乃花が、引退。一代年寄貴乃花を襲名いたしました。 これからは後進の指導にあたり尽力されることだと思います。どうかよろしくお願いいたします。

それでは横綱ご自身からお願いいたします。
貴乃花光司:えー、本日はお集まりいただきまして誠にありがとうございます。 えー、本日を持ちましてわたくし貴乃花は現役を、引退、することとなりました。 えー、初土俵から今日までご声援をいただきました皆様に対し、この場をお借りいたしまして深く御礼を申し上げます。 また、報道関係者の皆様には今後ともご支援を賜りますよう、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

どうぞ、おかけになってください。それでは代表で、少し最初に質問させていただきます。 えー、なおあの、横綱と、まぁ引退されましたが、呼ばせていただきますので宜しくお願いいたします。
はい。

引退を決意されてしばらくもう時間が経ちましたが、今どんな心境でいらっしゃいますか?
えー、今あの、おかげさまで非常にすがすがしい気分でおります。

引退を決めたのはいつですか。
えー、あの、昨日の、えー、昨日の取組が終わりまして、あのー、最終的に、あの、決断することに、ぃなりました。

昨日のあの夜の段階で、えー、師匠が横綱の家に伺った時にですね、まだトレーニングをしていたという風に師匠から伺ったのですが、 その段階で心の中はどうだったのでしょうか。
ぅ、あのー、非常にトレーニングというのはあの、ただあの、えー、気持ちをリラックスさせるために、あの、軽く動かしていただけなんですけれども。 ただあの、昨日の取組を終えまして、えー、ある程度自分の、ぉー、気持ちが固まっておりましたので、朝までお時間をくださいと師匠にお願いしたんですが。

その、引退を決意される時に迷いというのはなかったですか。
えぇ、あのー、まぁ初めての経験ということで、あのー、迷いは、ぁぇーぅー、多少はありましたけれども、 ただあの、非常に、ぃー、すがすがしい気持ちで、えー、昨日の相撲もとれたということで、ぇぁのー、心の底から、納得しております。

ということは、何かやり直したい、とか、悔いがあるとかそんなことは全くないですか。
そうですね、いぇー、特には、今はあのー、そ、悔いのような強い気持ちはないんですけども、はい。 ただあのー、ぇー、こうして、ぇー、無事に、ぇー、現役の生活を送れたことが、非常に、ぃー今、あのー、ありがたく思っております。

師匠に一言伺いますが、その横綱の引退の決意を耳にした時に、師匠の心の内はどんなものだったのでしょうか。
もう、まぁ横綱に上がった当時からまず、もう力が落ちたなと思ったら、もう引退、と言う風にあのー、横綱にも話しておりましたんで。また今場所は特にあのー、なんとかねぇ、あのー、力を出そうとするんですれども、あまり膝が言うこと聞いてくれませんし、 またあのー、肩の方も、まぁ、痛みがまだずぅっと続いているということで、これは止むを得ないなと。まぁ力がだいぶ落ちたなという気で見てましたけどね。

親方としてのあのー、さみしさのようなものはないですか。
いや、さみしさはないですよ。反対にあのー、ホッとした感じです。

安堵感の方が大きいですか。
はい、安堵感のが大きいですね。

あのー、再び横綱に伺いますが、15年間、横綱としては49場所まぁ、8年少しなんですが 今振り返って、あのー、 その15年間どんな土俵人生と言ったらいいんでしょうか。
えぇ、あのー、まぁのー、相撲をとる上で、あのー、やはり、ぃー、非常にぃー、15歳の、ぇー、初土俵の時から、えー、相撲というものをぉー、 ぃー、大変、好きで始めたものですから、えー、まぁ正直に申しまして、横綱になれるとは全く思っていなくこの世界に入ったんですけれども、 今こうして、えー、引退というところまで来れたことが、非常にあの、自分にとっては、あの、うれしく思いますし、 また、あのー、何にも換えられないというのは、あのー、今まで、えー、たくさんの方が私を応援してくださった、ということが、最大の私の支えであります。ですからこれからは、そ、応援してくださった方々に、対してもそうですが、 相撲協会に対して、えー、役に立つような働きをしていきたいと思っております。

今あの、横綱ご自身から入門の頃のお話がありましたが、私も今あの、入門の頃の、兄弟で、もう、言葉は悪いですが、 ケンカのような稽古を今思い出したんですが あの頃の心の中、思いというのはどんなものだったんですか。
えぇ、あの頃はですね、全くあの、まぁー、先も見えない状態で、ただあの、日々稽古をすることだけがえー、支えでありまして、 えー、無我夢中で、えー、やってきた、やっていたと思います。

当時から、もう全国に注目される中で相撲をとってきたという部分で、その注目され続けた部分ではどうなんでしょうか。
えぇあのー、まぁどうしてもあのー、相撲に入った時あのー、まぁあのー、師匠がえー、元力士ということで、えー、取り上げられましたけれども、 んー、ただあのー、それはもう自分が持って生まれた、また命を捧げて頂いた環境ですので、 えー、まっとうな気持ちで、あのー、戦っていきたいなと、 えー、常々やってきました。

あの、横綱になって、そして、まぁ怪我が少し増えてきて、特に、もう一昨年になりましたが、 あの夏場所の膝の大怪我ですが、 あの怪我をした時に、翌日千秋楽、出ようという意識を持ったのは、今だからあの、言える部分でですね、 どんな思いで千秋楽の土俵に上がったのでしょう?
えぇ、あのー、もうー、ただただあの、何とかして出たいということ、とですね、あとあのー、やはり、ぃー、 これで最後になるかもしれないという気持ちが大変強かったです。ので、えー、土俵に上がらなければいけないという信念だけは持っていました。

で実際本割では、あのー、敗れて、決定戦になったわけですが、あの、 決定戦で仕切ってる間の心の内というのはどういうものだったのでしょう。
えー、あのー、まぁ蹲踞(そんきょ)をしまして膝があのー、安定しないという状態が土俵に上がってもありましたので、えー、まぁ非常にあのー、 自分なりにもあのー、今大変な状況なんだなぁということで、ただあのー、土俵の真中に仕切り線の前に立って、えー、相手に構えて、えー、 行きたいという気持ちだけを持っていました。

しかしそのー、あの時の優勝の代償として、長い間、まぁ手術からリハビリと、辛い時期を過ごされたわけですが、 あのー年以上の間、復活に向けての思いはどうだったんでしょうか。
えぇ、あのー、まぁ膝の手術をしまして、あのー、まぁこれもまた初めて手術ということをしたものですから、どのような状況になるのか全く分からないまま、 えー、時を刻んでいったんですけれども、えー、歩けるようにはすぐなるんですけども、ぇー、蹲踞や、ぇー、 四股を踏んだりすることにおいて非常に時間がかかりましたので、えー、もうこれは念入りに、基本的な稽古を重ねていかなければ、 元の、えー、摘出した部分の、えー、元の、それを補う力をいち早くつけなければいけないという気持ちで、えー、常にやってました。

実際のところ、例えばこの場所も、完全な、あの膝の状態がよくなったというわけではない中で、 おそらく出場に踏み切ったんだと思うんですが。その出場に踏み切った、あの、理由と言いましょうか思いというのはどうだったんでしょうか。
えぇあのー、今場所はあのー、膝の状態で言いますと、非常に、あのー、手術してから一番いい状態だったと思います。 ただあのー、ぇ、左の肩を2日目に怪我したということなんですが、これはあの、怪我をするのもしないのも、ぇー、自分次第と申しますか、 えー、怪我をしたということは、ぇー、自分自身の問題でありますから、ぇ、そういう意味ではあのー、まぁ二日休場させていただいたんですけれども、 もう一度土俵に上がって、えー、きちっと、あのー、自分の節目をつけたいという気持ちで土俵に上がりました。

あるいは周りの声としては、もうこの一場所を休んでも、別の場所の怪我だけにですね、また次へ、 もう一度チャンスを掴んでという声もあったんですが、その辺りは。
えぇ、あのー、まぁ、あのー、1年4ヶ月という長きにわたり、えー、休場させていただき、またあのー、復帰をさせていただいて、あのー、 きましたので、 まぁのー、今場所休むという気持ちは、全くありませんでした。

えー、まぁ30歳になったところで、ぇー、引退ですが、15年間、そして、 まぁ幕の内でずぅっと務めてきて22回の優勝。この22回の優勝は横綱自身はどんな風に評価されますか。
えぇ、あのー、先程も述べたんですが、あのー、この世界に入った時に、あのー、十両に、関取ということになれるかどうか。 なれれば、あのー、いいなぁという思いでずぅっとやって来たんですけれども、ただそれがあのー、横綱にさせていただいて、 また優勝、えー、22回という優勝をさせていただいて、非常にあのー、今満足しております。

えー師匠に伺います。あの、15年間の横綱貴乃花関の土俵、師匠としてどんな風に評価されますか。
そうですね、とにかく、努力と勇気っていうんですかね。そういうものが本当に、いいものを持ってたなぁと、 そう思っております。 あのー、何か壁に当たると、やはりあのー、色々なことを考えながら勇気をもってですね、それに立ち向かっていってるんですね。 たぶんあの、手探りだと思うんですけどね。前はもう真っ暗でわかんないんですよね。それをもう勇気で、なんか克服していたような、そんな気がします。

その姿を目の当たりにしながら、あのー、師匠としても、まぁ入門した頃からですね、夢というのを抱いていらっしゃったと思うんですが、 その夢を叶えていった横綱に対してどうでしょう。
んー、とにかく、もぅとにかく、あのー、 朝の6、あの、まぁ入ってきた当時は、新弟子さんの時には朝の3時から、 もう10時半から11時ぐらいまで動きっぱなしですよね。 これは凄いスタミナだなぁと、いう風に感じて、これはもぅどんな厳しい稽古でも耐えきれるなと、 そう思ってました。それさえ、そのスタミナさえあれば、あのー、三役には上がれるかなぁという風な そういうものはいつもありましたけれども。 大関とか横綱ということになるとまた、運もありますしね。うん。


その横綱、えー、横綱まで駆け上がって、えー、まぁ結局ここ2年ぐらいは苦しい中での毎日だったと思うんですが、 あの、師匠ご自身の心の内は、この2年間ぐらいはどうだったんでしょう。
そうですね。もう、去年一昨年の5月場所の千秋楽の相撲。この時に、まぁ14日目に貴乃花と話をして、 これでとにかく私の人生が終わっても止むを得ないということで、本人に聞きましたので、もう、これはもう、本人の意志だ、意志、意志なものですから、 ある程度は覚悟は、もうしてましたけども。

あの横綱、今振り返って、まぁまだ引退の決意から時間が経ってませんが、15年間で思い出に残るあのー、場面であったり、 取組であったり、 そういうものは今浮かんできますでしょうか。
えぇあのー、まずはあの、十両を、ぇあの、幕下の、ぇー時、幕下で十両を決めた一番と、あとは、横綱に、を決めた一番と、えー、 というのが非常に印象に強く残っています。

えー、まぁこれから、先程師匠の方からご挨拶ありましたが、一代年寄貴乃花として後進の指導にあたられるわけですが、 一代年寄を理事会で承認されたという、これについてはどんな感想でしょうか。
えー、あのー、非常に光栄に思っております。 それと、その、えー、名に恥じないような、 えー、貴乃花いう名前をいただいた気持ちを大切に持っていきたいと思っております。

まだあのー、早いかもしれませんが、 どんな力士を育てていきたいという、何か思いはありますか。
はい、あのーやはり、しぶとく、強い力士を育てていきたいと思います。

それからあのー、先程応援してくださった皆さんの話がありましたが、今一度あのー、まぁ全国の、ずーっと応援をし続け、 し続けてくださった皆様に ご挨拶をお願いできますでしょうか。
えー、本日引退することとなりましたが、えー、これからも、ぇー、現役で培った、ぇー、気持ちを忘れずに、 後進の指導にあたり、今後の人生に役立てていきたいと思います。今後ともどうぞ、よ、宜しくお願い申し上げます。

最後に一つだけお願いしたいんですが。 横綱自身があのー、土俵をこれで去って、これから後を追いかける力士達への、 何か期待、は、の思いはありませんでしょうか。
えぇ、あのー、やはりあのー、んー、まぁあのー、そのためにも、ぇー、あのー、もう私は現役を引退しましたので、 そういうあの、現役の力士がえー、伸び伸びとやっていけるような環境を、ぉー、協会が作られていかれると思いますので、 その中の一員として、えー、できることがあれば尽くしていきたいと思っております。

どうも親方、横綱ありがとうございました。代表で伺いました。

(2003.1.20 両国国技館にて)