- 落合博満氏(2023/xx/xx)
- 有森裕子氏(2023/xx/xx)
- 原晋氏(2019/10/30)
- 杉山愛氏(2018/11/1)
- 高田明氏(2017/12/5)
- 千葉真子氏(2016/9/28)
落合博満氏(2023/xx/xx)
勝てる組織の作り方
2003年ドラゴンズ監督のオファー。全ての実権は握ってよいと言われた。
キャンプ12球団のうち練習していると言えるのはカープ、ホークスだけ。他は練習しない。
8年間で30人程度のコーチと接した。
[1]暴力しない [2]選手と飯食わない [3]フロント見て野球しない を徹底させた。
10%底上げしたら優勝できる、その代わり練習では泣いてもらうよ
休憩時間取るようになった
だんだんその練習量に慣れてくる。
どう技術を作っていくか。心技体というが、実際は「体→技→心」。体力つけて技術上げる。
監督は公平な評価をする
選手は自分のために野球する。自分の身を自分で守る。
12、1月体力作りから始めねばいけない
2/1、2紅白戦
ゲームだと本能 身体できてなかったらケガするリスク
6勤1休 公式戦と同じ。発想の転換
優勝するために練習
レギュラーになりたい奴だけ面倒見た 荒木井端森野
俺のジャンバーを脱がせたいと(笑)。
足を使え。
前に弱いゴロ打って腰を割らせる
普通のことやってたら1流になれない。
レギュラー奪われるから出続ける
自分が何の練習したいか自分で決めろ
コーチに使われる選手にはなるな
やらされてる練習
コーチの言いなりになるのは❌。コーチを利用する選手になれ。
2004年開幕投手川崎憲次郎に指名。
彼の引退試合、チームをどうやって変えるか。あの川崎でも1軍のマウンドに踏めるんだから俺だってと思わせる。
ダメだったら言ってこい
岩瀬の親指骨折 自分の力で這い上がってこい ファームに落とさなかった 逃げさせない
「俺が言うことは絶対正しい、頭ごなしにこれをやれ」の指導はもう時代にあってない。
問題提起まで。結論は本人に出させる。
監督は正当な評価をしてあげる
練習は嘘つかない。
有森裕子氏(2023/xx/xx)
(まだメモです・・・)
Tシャツもらえるとか
最後尾追走でも一緒にコース楽しめる、とか
不純なと言うか自分の欲でやっても良い
自発心は違って当たり前。
活動に対してAgreeを求めない、ただUnderstandingはして欲しい
善意ほど厄介なものない
どうなりたくて居るの? そこまでに至らずに潰れる方がダメ
原晋氏(2019/10/30)
2019年10月30日クオリティフォーラム講演
箱根駅伝から学ぶ、人が成長する為の秘訣 ~人と組織を強くするビジネス・メソッド~原 晋氏(青山学院大学 陸上競技部長距離ブロック監督)
要旨
1. 青学大駅伝チームと原監督の挑戦
チーム運営はOB会が行い、監督もOB会から選出という慣例。2002年までは、弱くて当たり前、でも特に打つ手なしという程度の意識だった。2002年半田学長による強化意思で全てが動き出す。具体的には、特別強化指定制度の導入、2004年入試制度改革(面接と小論文での選考)、まずは駅伝強化を開始。(専任監督、専用合宿所町田寮、特別強化費、8名の特別推薦枠と言った強化施策を打つ)
原監督は昭和42年生まれの52歳。高校駅伝の名門世羅高校、中京大学と進学し、中国電力陸上部1期生。1年目に故障し5年目27歳で引退。10年間中国電力でサラリーマン生活、営業で「伝説の営業マン」と言われる活躍後、後輩のつてで駅伝監督の話が回ってきて、プレが認められ3年契約で採用される。(母校でもない、箱根経験者でもない、陸上指導歴もない中で、当時としては異例の採用)
2. 95回箱根駅伝エピソード&学び
2区10km地点で運営管理車から普段と違う声かけをした、というくだりの詳細を面白おかしく説明。1日目の最後、往路を終えて思うような順位ではない結果で部員達は宿舎でお通夜のような雰囲気だったが、『リーダー(監督)はいつも明るく元気に、前向きな気持ちが大切』、ということを思い知らされた、と説明。
3. 青学大駅伝チーム15年間「組織作り」就任時の思い
1) 箱根駅伝を通じて社会に役立つ人材育成学生には競技のみならず、勉学に励むことも求める。人として「考える力」を養うような指導。
2) 大学駅伝界の勢力図を変え、業界のイメージアップ作りに貢献する真のライバルは野球やサッカー等のメジャースポーツ界。優秀なアスリートが陸上界に入ってくるよう仕掛ける。
3) 駅伝を通じて青学の一体感を作る(卒業生35万人)駅伝は何十万人もの人が沿道に押し寄せる巨大コンテンツで、社会的な影響も大。
4. 組織の習熟度(駅伝部の事例に基づいて説明)
駅伝部監督という立場で、組織作りを以下4ステージで捉える。組織の習熟度のほか、個人個人の特性としても当てはまるので、それぞれに合った指導をされるのがよい、とアドバイスされていた。
ステージ1 ステージ2 ステージ3 ステージ4 上意下達 自覚期 コーチング期 支援型運営期 監督の役割 監督→部員への指示・指導 監督→各学年長への指示・指導 監督→部員への支援 監督、外部指導者→部員への支援 ティーチング・・・その業界の核となる部分を徹底させる。当たり前のことを当たり前に(長距離走では、規則正しい生活 を徹底)監督=生活指導の先生的な存在 ステージ1と同様。ただし監督からの直接のコミュニケーション対象は減る。 (各学年長) コーチング・・・監督からの「指示・指導」ではなく、投げかけ、コーチング的要素が強くなる。 サポーティング: フィジカルトレーナー、メンタルトレーナー、栄養士 といった外部指導者も巻き込みながら、チーム、選手に対してのサポーター役となる。 状態 チームの方針を的確に直接伝えられるが、やらされ感、指示待ち、自分で考えなくなる。 リーダー、スタッフには自覚が生まれるが、監督の方針が末端まで伝わり切っていない。 理念や行動指針が定着。ただし、自主性と自由をはき違えないよう、方針を伝え続ける等、管理者としての歯止めが必要。青学駅伝部はこのステージまでくるのに8年 選手の自主性とチームの自立の両立。
所感
青学大駅伝監督として世間で有名になる前、私含め箱根駅伝マニアから、「2008年の学連選抜で4位になった時の監督」として強烈なインパクトを残した。この時が実は、3年契約を終えて1年大学から猶予をもらった年での結果(この年は予選会次点で惜しくも大学としての本戦出場は逃すが、次点の監督(=学連選抜の監督)としてのこの結果)だったとのことなので、やはり後から思うとその後の大躍進の伏線はあった。
今や広報マンのごとく色々な所で発言し芸能人のような忙しさになっているようだが、これまでのやり方に囚われない柔軟な考えを持ち、自分の考えがぶれず、情熱をもって伝えられる、人への影響力がものすごく強い方という印象を受けた。40分間ではダイジェストのダイジェストという感じなので、殆どは既知の内容の復習であったが、著書『逆転のメソッド(祥伝社新書)』を読み返すと、なお原監督への理解が深まる。対象は何であれ、その対象に対し長期のビジョンと情熱を持ちつつ、半歩先を見据えて今できることを一つづつやっていく、というのはカッコいい生き方だと強く思う。
杉山愛氏(2018/11/1)
JUSTメモ
①テニスツアー概略
②ピンチはチャンス 8年目25歳の時初めてのスランプ
母「見えるわよ」の言葉
コーチ フォーム トレーニング遠征の回り方 ツアーに対する考え方
③チーム作り
④チームが上手くいかない時
⑤最後に
「遊戯(ゆげ)三昧」
することを楽しむ
自分がワクワクするスイッチを自分で入れる
高田明氏(2017/12/5)
ジャパネットたかた会長。
メッセージは、今を一生懸命生きるということだった。69歳!若い!エネルギッシュ!
書籍のリンクを貼っておきます。
千葉真子氏(2016/9/28)
走る裏ワザ
1. 姿勢 腰(尻のやや上)に片手を当てるだけで姿勢が正される⇒呼吸も深くできる。猫背の人は意識してみるとよい。
2. 肘を引くことを意識⇒骨盤の動きと連動され、エネルギーに無駄がなくなってくる。
3. 左右差の解消⇒エア水泳、タオルを後ろで組んで引っ張る等、動かすことが大事。
フルマラソンでは、30kmまでは「無」の境地。言い換えると、考えたり、景色を見るエネルギーすらも抑えてリズムに乗って足を置いていくだけ。30km以降は勝負どころとして、支えてくれた人達の顔を思い浮かべて走る。
ランの効用:脳の活性化
・食事、睡眠、運動
・食事は定食等バランスよいものを。単品でも、+サラダ、+牛乳等バランスに気をつける
・スポーツを日常生活に
千葉さん自身、シドニー五輪選考会直前は1,300km/月も走ってきたが、補欠が決まった際、失意で暫く塞ぎこむ中、ふとジョギングすることがあった。その時、身体が前に進むことで、考え方も自然と前向きになった、という経験を話されていました。
経歴
「よい師に恵まれての成長」とおっしゃってましたが、現状に甘んじたり運を待つのではなく、自分から小出監督やシモン選手に電話して練習に参加させてもらったというお話から、向上への貪欲さを見習いたいと思いました。
高校(立命館宇治):
・先生からは、「競技者である前に一高校生であれ」人としての基本を教わった。
・中学時代はテニス部。陸上は高校からで、1軍半かつ故障しがちな選手だったが、入学以来1年半努力し続け、ようやく1軍のレギュラーになれた。
・故障していた頃、筋トレをストップウォッチでできるだけ早く正確にすることを続けた結果、3kmのタイムを30秒短縮することができた。
実業団(旭化成):
宗兄弟に執事。20歳前後の若いうちに世界を知り、世界の舞台を経験できたことが大きかった。
マラソン転向後:
世界で戦うには、シドニーメダリスト(特に高橋尚子選手、リディア=シモン選手)と一緒に練習することが近道と考え、まずはシモン選手のアメリカボルダーで合同トレを1か月くらいお願いし、トレーニング敢行。その後迷った結果、結局小出監督の指導を仰ぐことになる。
小出監督は、練習は半端なく厳しいものだが、選手によって指導の仕方を変え、どうやったら心が動くかを考えて指導してくれる。また、選手が気分よく練習できるよう、コミュニケーションを密にしてくれる。
大切なこと
・今自分に何が必要なのかを考え、必要なことを素直にやってみよう。
・上手くいった時こそ、振り返り、要因を突き止めること。
・苦しい時は、自分の目標を信じること。
・大変=文字通り、大きく変わるチャンス。
・目標は、「結果の目標」のほか、手が届きそうな「行動に関する目標」も立てるとよい。
・目標は公言することも効果的。
・自分ができそうな範囲の行動目標を立て、継続していくことが重要。
・「夢は必ずしも叶うとは限らないが、夢を持ち努力を続けていれば必ず夢に近づく」