(最終更新日: 2021/8/17)
私は工学の修士を修了していますが、卒論と修論(学部生とマスター)の違いについて説明します。
学部3年の冬、どれも難しそうに見える研究室の中から研究室を選び、ざっくり大テーマ(グループ・チーム)を選び、関連する研究テーマを与えられ、拠りどころとなる基礎理論・法則や最新論文の学説のようなものを輪講(論文研究)の時間(1単位)で学びながら、教授や先輩の指導で見よう見まねでも何でもとりあえずやりました、までが卒論(研究室1年目)。
修士になると、週報に合わせ、仮説を立てて実験で確かめることの繰り返し。なかなか思った通りの結果にならないのは日常茶飯事、産みの苦しみで、原因を考えてもわからない時はまさに試行錯誤。実験の方法を変えたり、条件(条件も、コントロールに対して複数変えるとどの変化が効いたのかわからないため、必ず1つずつ変えて、何通りも同じ実験を地道に繰り返す)を変えたり、ストーリーを考え直したり。思い通りの結果になっても、再現性があるか確かめたり。
大きなアウトプットタイミングは、修士1年の秋頃に中間発表(研究室2年目)、その1年半後に修論発表(研究室3年目)。(私は対象にならなかったが、中間発表の評価が芳しくないと修論発表・質疑の尺が長くなるペナルティがあった) 途中、学会発表の機会もあり。自分の発表ではないが、共同研究者のサポートとして、新潟大と福岡大に行った記憶が。
修論では、仮説、それを確かめる実験、出てきた結果の分析、分析から導かれる結論までとにかく一貫性・ロジカルさにおいて、卒論よりも厚み深みが求められる感じがした。犬に肉見せてヨダレ出るような単純なものではなかった。。
また、研究を通じて、バックキャスティング的なプロジェクトマネジメント力や、類似テーマに取り組む共同研究者の後輩をモチベートする力。(自分は全然ダメだった)
このプロセスを面白いと思えば研究・開発職、そうでなければそれ以外の仕事を選ぶのだろう。当時の研究テーマは今の人生に全く関係ないが、思い通りにならないことへの対処やロジカルに考える訓練ができたことは多少は役に立ってるか。実社会はロジカルでない理不尽なことも多いから。